北野天満神社

紹介

異国の文化が育んだ神戸の代表的観光スポット「北野」。
この美しい街の上に北野天満神社は静かに鎮座しています。
福原の都の時代から異国情緒あふれる町並みへと姿を変えていった神戸の歴史を、
この港の見える丘の上から見守り続けてきました。

写真紹介

  • 異国の文化が育んだ神戸の代表的観光スポット「北野」。
    その北野の坂の上、まさに北野の中心地に鎮座する北野天満神社の鳥居です。西隣には風見鶏の館があります。

  • 境内中央には、寛保2年(1724)に建立された拝殿があります。拝殿とは祭礼・儀式を執り行ない、御祭神を拝するところです。現在、北野天満神社の拝殿では舞の奉納や、神前挙式などが行なわれ、北野国際まつりなどの際には舞台として各国の民俗芸能が奉納されます。
    (神戸市の重要伝統的建造物に指定)


  • 御祭神として祀られる菅原道真公と牛の御縁は大変深く、様々な伝承や縁起が残されています。道真公は承和12年(845)乙丑年のお生まれであり、御自身も牛を慈しまれたと伝わります。また、延喜3年(903)2月25日の丑の日に59歳で御生涯を終えられました際には、道真公の御亡骸を乗せた牛車の牛が伏して動かなくなった地を道真公の思し召しとして御墓所(現在の太宰府天満宮)が定められました。牛は道真公の御心を受けたお使い「御神牛」として現在も大切に崇められているのです。

  • 本来は手水でありましたが、古くから人々が自然とそこで手を合わせたことから信仰が生まれ、現在に至るまで水かけ祈願叶い鯉として大切に守られています。 鯉に水をかけて祈願すると願いが叶うと信じられ、水を「鯉」にかけるところから、「恋」にかける、つまり恋愛成就の御利益を特に授かると言われています。

  • 菅原道真公、すなわち天神様が祀られている御本殿です。寛保2年(1724)に造営された御本殿は、透塀、拝殿、鳥居、灯籠、石段とあわせ、昭和60年に神戸市の「伝統的建造物」として文化財に指定されています。

末社の案内

  • 境内末社(御神徳)

    天高稲荷神社(家内安全・商売繁盛)
    薬照大明神(心身健康・病気平癒)
    白龍大善神(水神様 開運招福、水難・災難除)
    北野水天宮(水神様 安産)

  • 天高稲荷神社

  • 白龍大善神

  • 北野水天宮

  • 薬照大明神

  • 境外末社(北野町4丁目 関西ユダヤ協会50米山側西入)

    北野青龍神社(火防・火封じの神様)
    三森稲荷神社(家内安全・商売繁盛)

由来

  • 北野天満神社は、霊験あらたかな学問の神様で親しまれている菅原道真公をお祀りする由緒ある神社です。
    治承4年(1180)の6月、平清盛公が、京都から神戸に都を移し、「福原の都」を造るに当たって禁裡守護・鬼門鎮護の神として、京都の北野天満宮を勧請して祀られたことが当社の始まりです。平安時代から続く非常に古い歴史を持ち、人々から篤い尊崇を受けております。神社前の東西に伸びる道は、古くから北部の西国街道として旅人の往来が多く、歴史上の人物もこの道を歩いて幾多のロマンを残しています。明治開港の折には、多くの外国人がこの北野山麓に移り住み、風光を賞で、異国情緒豊かな異人館が立ち並びました。現在にも残るその異国情緒豊かな街並みを一目見ようと、休日には多くの観光客で賑わいます。北野天満神社はその美しい北野の坂道を上った先に鎮座しています。遥か神戸の港までを見渡せる境内からの素晴らしい眺望は、天神様の清らかな眼差しを受けて今日も輝いています。

  • 御祭神の天神様(菅原道真公)は学問の神様として篤い信仰を受けていることから、合格・学業成就祈願に参拝される方が多くいらっしゃいます。絵馬による御祈願の際は願かけ所に絵馬を奉納いただけます。また、恋愛成就・良縁成就祈願のための叶い鯉絵馬もございます。

御祭神

  • 菅原道真公 承和12年(845)6月25日―延喜3年(903)2月25日 幼い頃より学問の才能に優れ、わずか五歳で和歌を詠むなど類稀なる才能を持つ神童と謳われました。並みならぬ努力とその高い御人徳によって人々から篤く信頼され、一流の文人・学者としてだけでなく学者出身の政治家としても卓越した手腕を発揮されました。しかし政略によって大宰府に左遷され、その地で没せられます。無実が晴らされた後は道真公の清らかな人柄と生前の功績が仰ぎ慕われ、やがては学問・至誠・厄除けの御神徳高き天神様として全国で篤い信仰を集めるようになりました。

    主な御神徳
    ・学問・和歌・連歌の神
    ・芸能の神・子どもの守神
    ・正直・至誠の神
    ・厄除けの神
    ・冤罪を晴らす神など

歴史

  • 社伝によると、福原遷都に際して平清盛の命を受けた大納言五条邦綱が、新しい都の鬼門鎮護のために京都の北野天満宮を勧請して社殿を造営し、僧信海に管理させたのが当社のはじめと伝えられている。 治承4年(1180)のことだという。 以後、神戸の北野天満神社の周辺は「北野」と呼ばれるようになった。 中世の武家の世の中では、当社はしばしば戦乱に巻き込まれた。南北朝の動乱期の湊川の戦いや、応仁の乱にかかわる兵庫の津焼き打ちなどでも被害を受け、幾度か衰退の憂き目を見た。特に戦国末期には、中国の毛利氏と結んだ荒木村重配下の花隈城に近かったため、織田信長の命で花隈城を攻めた池田氏がすぐそばに陣を敷き、北野天満神社も激戦に巻きこまれた。 太平の江戸時代になると、北野天満神社は北野村の鎮守として崇敬され、正保・寛保・文化年間には、本殿や拝殿、神饌所が建設された。延亨年間のある夜、神戸村のひとりの漁師が、真っ暗な和田岬の沖合で嵐にあって遭難しかけた。このとき、北野天満神社のご神木から明るい光明がひと筋天に昇るのが見え、それを頼りに神戸の浜に帰り着くことができたという伝説も伝わっている。 明治になると、神戸に来住した外国人が、居留地返還に伴って、居留地の北にあたるこの辺り、北野町や山本通りに住みはじめ、異人館が立ち並んだ。福原の都の時代からエキゾチックな町並みまで、神戸の歴史を港の見える丘の上から眺め続けてきたのが、北野の天神さまなのである。

  • 明治2年、北野村の高台より生田の森を写す